日本最北の最恐の刑務所!網走監獄博物館の見どころ。北海道の人気観光スポット
公開日:
更新日: 2017/09/07
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紋別、網走、北見、知床 人気観光スポット, 歴史的建造物, 美術館・博物館
北海道網走市にある博物館網走監獄は、明治時代からある網走刑務所の旧建造物を保存公開している野外博物館です。昭和48年(1973年)に網走刑務所の改築計画が公表された時、貴重な建築物が失われることを懸念した網走新聞社(現在は廃刊)は、刑務所建築物を移籍保存しようと提案し、博物館 網走監獄となりました。
明治時代の日本は、明治維新後の内乱により監獄での拘禁が過剰となっていました。またロシア帝国による脅威を防ぐために北海道の開拓が重要でした。そこで明治23年(1890年)に、囚人を北海道の網走刑務所に拘禁しました。囚人を労働力として使役させて北海道の防衛と開拓を進める政策を行ったのです。
発足時の囚人数は1,392人でその3割以上が無期懲役、他の囚人も刑期12年以上の重罪人でした。過酷な労働条件により中央道路工事は明治24年(1891年)のわずか1年間という脅威の早さで網走から北見峠まで約160kmが開通しました。しかし代償はその代償は大きく、大勢の怪我人や栄養失調の人が発生し、200人以上の死者が出るほど過酷な生活でした。
昭和60年(1985年)10月10日に公開開始となった「五翼放射状平屋舎房」は、刑務所の施設としては日本国内最古で、木造の行刑建築としては世界最古になっています。貴重な文化財でもある博物館網走監獄をご紹介します。
博物館網走監獄の記事のご紹介内容
1,博物館網走監獄の基本情報&便利情報
2,博物館網走監獄の施設情報
3,博物館網走監獄の脱獄犯
4,監獄食堂で監獄飯を体験
5,ストリートビューで見る博物館網走監獄
6,博物館網走監獄までのアクセス情報
博物館網走監獄の基本情報&便利情報
基本情報
名前:博物館網走監獄
英語表記:Abashiri Prison Museum
都道府県:北海道
エリア:紋別、網走、北見、知床
住所:北海道網走市呼人1−1
電話番号:0152-45-2411
休館日:年中無休
営業時間:
5月〜9月 8:30〜18:00
10月〜4月 9:00〜17:00
※最終入館は閉館1時間前まで
入館料:
大人/1,080円
大学・高校生/750円
小・中学生/540円
団体割引 20人以上2割引
福祉料金 ¥540円
網走市民割引 2割引
公式サイト://www.kangoku.jp/
便利情報
オススメランク:重要文化財に指定された博物館網走監獄、旧網走刑務所を体験できます。リアルな囚人の人形は当時の様子を再現しています。
駅から徒歩10分以内:×
無料Wi-Fi:×
クレジットカード:×
用途:家族/友達/一人/デート
外国語話せるスタッフ:不明
禁煙・喫煙:不明
駐車場:○
目安滞在時間:標準コース60分、早回りコース40分
博物館網走監獄の施設情報
鏡橋(再現構築)
網走市街地と網走川を挟んだ場所に設置されている網走刑務所は、出入りするためには橋を渡らないといけません。網走市街地と網走川を繋ぐのが「鏡橋」です。「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」というのが名前の由来となっています。明治24年に建築され、平成6年に再現構築されました。
正門(再現構築)
赤レンガ門とも呼ばれている網走刑務所の正門は、重圧で威厳を感じます。正門の左右には部屋が設置されており、一方は、正門担当看守の控え室となっており、もう一方は、面会に来た家族が申しこみと待合室に使われていました。大正13年に建築され昭和58年に再現構築されました。
こちらが看守控え室になります。中には蝋人形が監視をしています。
そしてこちらが面会人の待合室になります。
庁舎(移築復原)登録有形文化財
庁舎は刑務所の主軸となる場所です。庁舎の中には、典獄室(現在の刑務所長室)、会議室、総務課、戒護課、用度課、作業課等があります。保安管理、数化活動(宗教の力や対人接触により、良い方向に感化すること)等の計画執行を検討したところです。明治45年に建築され、昭和63年に移籍されました。登録有形文化財になります。
教誨堂(移設復原)登録有形文化財
教誨堂は名前の通り、教誨事業の行われた講堂です。受刑者に対して行う精神的、倫理的、宗教的な教科指導は教誨堂で行われていました。明治45年に建築され、昭和56年に再現されています。こちらも登録有形文化財になります。
講堂の中は広々としており、作業のない日は映画を見せたり、慰問公演が行われていました。冬で野外運動場が使えない時は、体育館のような使い方もされていたそうです。
五翼放射状舎房(移築復原)登録有形文化財
五翼放射状舎房は、実際に明治45年から昭和59年まで網走刑務所で使用されていた獄舎です。中央見張りを中心に、5本の指を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれています。明治45年に建築され、昭和60年に移籍されました。登録有形文化財です。
五翼放射状舎房は雑居房と独居房の2つあり、合わせて226室で構成されています。雑居房の部屋の広さは畳6枚敷で収容定員は3〜5人、126室あります。独居房の部屋の広さは畳3枚敷で、収容定員1人。100室あります。
こちらが中央見張りになります。真ん中に見張りがいるため、少人数で監視できるという利点があります。ベルギーのルーヴァン監獄を模したものと言われています。
独居房で正座をしている蝋人形がいます。
こちらの蝋人形は何か作業をしているようです。
布団が敷かれている独居房もありました。
雑居房で食事をしているところを再現した蝋人形もいました。お茶とご飯とお味噌汁にたくあんでしょうか。過酷な労働をしている成人男性には物足りないでしょう。
五翼放射状舎房は、薪ストーブで暖められていました。−20度にもなる極寒の地、さすがにストーブがないと凍えてしまいます。
休泊所(再現構築)
受刑者は北海道の開拓を行っていたため、日帰りでできない作業も発生します。札幌と網走を結ぶ中央道路の開削は、明治24年4月から11月までの8ヶ月の間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入されました。工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。
別名では「動く監獄」とも呼ばれており、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっておりました。起こすときはまくらになっている丸太をガンガンと棒で叩いて起こします。極寒の土地にも関わらず、夜具は薄い柏布団1枚でした。食事は立って行います。逃亡を防ぐため、出入口も1か所になっています。明治24年に建築され、昭和58年に再現されました。
開拓時代の工事現場では、これらの休泊所の様式が取り入れられ、タコ部屋と呼ばれました。
味噌醤油蔵(再現構築)
自給自足の刑務所を目指していた網走刑務所は、30坪の味噌醤油工場を建設しました。
受刑者たちが食べていた味噌汁の味噌は自分たちで作っていました。なんだか感慨深いです。
漬物庫(再現構築)
冬の間は野菜が不足する網走では、秋に採れた野菜を冬用として漬物にしました。1回の食事で収容者が与えられる漬物の量は25グラム。たくあんなら3切れになります。
浴場(再現構築)
受刑者にとって一番の楽しみは入浴でした。しかし、たくさんの収容者がいるため、お風呂の時間は限られていました。作業場ごとに15人ずつが、脱衣3分、第1槽入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽入浴3分、着衣に3分というように脱衣から着衣まで合計15分間で効率よく入浴しました。これだけ効率よくしても1日に入れる人数は200人です。監獄則では、6月9月の夏期の時期は月5回入浴、他の月は1回入浴と定められていました。重労働のあとのお風呂はまさに至福の時間だったでしょう。
浴場全体を見られるように、看守は後ろで座っています。浴場は明治45年に建築され、昭和58年に再現されました。
独立型独居房(再現構築)
1囚1房を理想とする監獄法に基づいて作られた独居房は、板張りの小屋で、屋根は瓦、内部は土間と居室に分かれています。居室は畳2枚分の板張りになっています。
煉瓦造り独居房(移築復原)登録有形文化財
この独居房は煉瓦で作られています。網走刑務所では、明治時代末期から煉瓦造りの技能を持った囚人を本州の監獄から受け入れました。煉瓦造りの技能を持った囚人に煉瓦を焼いてもらい、できあがった煉瓦で堀や門、倉庫や独居房を作りました。
この独居房には窓がありません。扉は二重で煉瓦の壁の厚さは40cm以上あります。懲罰房、鎮房、保護房とも呼ばれておりました。獄内規則を犯した受刑者が7昼夜重湯のみが与えられて入居させられました。
監獄歴史館
監獄歴史館では、囚人の洋服を着てみたり、鉄の足かせを付けてみたりと、普段では味わえない体験を楽しむことができます。現在の監獄の部屋の様子も見られるので明治時代と比べてみても面白いです。
こちらが現在の刑務所の中の様子です。綺麗な畳が敷かれており、パジャマも用意されています。奥にはトイレがあり板1枚で隠されています。
当時の受刑者は縄で体を縛られて歩いていました。
博物館網走監獄の脱獄犯
様々な刑務所を脱獄し、脱獄王と呼ばれた2人の男をご紹介します。
西川寅吉(五寸釘寅吉)
西川寅吉(1854年 – 1941年)は日本で過去に脱獄を最も多く行ったことで知られています。脱獄し警察に追われていた際、五寸釘の刺さった板を足で踏んでしまいましたが、そのまま捕まるまで十数キロ逃げたという伝説が生まれ、五寸釘寅吉と呼ばれるようになりました。
殺人未遂や放火に加えて脱獄した道中で様々な犯罪、脱獄によって永い刑期を持ちますが、良い看守に当たったこともあり、一貫して模範囚となり最後には刑務所の敷地内を自由に移動できるほどの信頼を置かれるようになりました。
白鳥由栄
白鳥由栄(1907年 – 1979年)は、収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし昭和の脱獄王と呼ばれました。しかし脱獄の際に看守に怪我をさせたり、人質を取ったりするような強行突破を行うことはなく、当時の看守の間では「一世を風靡した男」と評されていました。26年間の服役中に4回の脱獄を決行した男です。
脱獄不可能と言われていた網走刑務所では、鉄でできた特製の手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁に含まれる塩分で鉄を錆びさせて脱獄しました。網走監獄でも白鳥が脱獄する姿が蝋人形になって再現されています。
監視口を外した時の様子も再現されています。白鳥由栄は体の関節を簡単に外すことができたため、頭が入るスペースがあれば安易にぬけ出すことができたそうです。監視口は成人男性が通り抜けられる大きさではないですが、白鳥由栄だからこそ抜けられたのでしょう。
監獄食堂で監獄飯を体験
監獄食堂では、現在の網走刑務所の昼食で出されるメニューを再現した監獄飯を体験できます。
ストリートビューで見る博物館網走監獄
Googleストリートビューで網走監獄の中を見てみましょう。監獄の中の多様な光景を見ることができます。
博物館網走監獄までのアクセス情報
住所:北海道網走市字呼人1-1
電話番号:0152-45-2411
交通情報(電車):JR網走駅から徒歩40分程度、車で約7分、バスで約10分
博物館網走監獄のまとめ
網走監獄はいかがだったでしょうか。受刑者の人形がとてもリアルで当時の様子を感じることができました。建物には、それぞれの看板が立っており、説明文を見るだけで楽しいです。看板には英語や中国語、韓国語での説明がありましたので、海外の方にも喜ばれることまちがいなしです。
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